福祉ラッパーLot FALCON(ロット・ファルコン)プロデュース!
Media メディア
Updated 2017.04.11(火)

【SPECIAL INTERVIEW】無脳薬ミュージシャン/高松信友 『支援者』に見えない世界を 『当事者』にしか見えない世界を歌生きる。

L.L.A取材班が彼と出会ったのは昨年2016年6月のこと。

 

愛知県名古屋市の新栄で引きこもり支援団体が主催する

トークセッションイベントが開催され、LIVEの枠でトリを飾ったのがこの彼だ。

 

SPECIAL INTERVIEW】無脳薬ミュージシャン/高松信友

IMG_9441

当時、我々取材班は彼の存在を知ることもなく、そこの会場に居た。

そのイベントの終盤に彼の出番はきた。

 

キーボードをセッティングし、でかい体を最大限にキーボードの音と共に声を振り絞る。

 

いぇ〜い!!!!!

 

その瞬間、自然と静まり返った会場は明るい雰囲気へと変わり、

ど〜も〜高松信友(たかまつ・しんすけ)で〜す!

 

とまだ演奏も始まっても居ないのに

今まで場数を踏んできたスキルが会場を高松ワールドに染める。

 

その中で気になったフレーズが今でも頭に残る。

 

僕、無脳薬ミュージシャンなんです!

小学3年生から抗精神病薬を13錠も飲まされていたんです。

薬付けの日々でした。

 

この瞬間から音楽と詩がスッと心に入り込んだ。

IMG_9460

無脳薬ミュージシャンとはどういうことだろうか?

 

高松氏の表現として

脳薬=抗精神病薬】を指す。

小学3年生から抗精神病薬を13錠以上飲まされていた。

その背景には、幼少期から暴力や親の言うことを聞かないなどあらゆる理由があった。

 

居場所が無かった』そう話す高松氏の過去を追うごとに、その生きづらさの背景がジワジワと見えてきた。

 

◆暴力で喋らざるを得ない

 

両親のお仕事の都合で過去14回の転校を繰り返し

慣れない学校生活や環境下で、暴力(いじめ)を経験した。

 

小学三年生頃、暴力を受けた続けた高松氏の怒りが最高潮に達し、

当時いじめの中心人物だった同級生に大けがを負わせることに。

 

その事件がキッカケで、学校側から

1、更生施設に行くか

2、専門科に診察受けるか

3、養護学校に行くか

と三択を迫られる。

 

選択権なんて無かった当時小学三年生の高松氏は、

親の判断で専門医のところへ送り出されることに。

 

その後、診断の結果

発達障害ADHDと診断される。

その時に処方薬として『リタリン』という抗精神病薬を飲む。

 

その当時から薬を多量に飲まされ、脳薬生活が始まったという。

 

 

それから数年の日々が過ぎるも

彼の噂が当時住んでた地域で話が広まり、地元の高校への進学は断たれ、

渋々、新潟県の寮のある高校へ進学することとなる。

 

2年生に進級した時に、いろいろなストレスが溜まりにたまって『解離性障害』になる。多重人格が生まれてしまった・・・

 

その後、統合失調症などの診断名を付けられ、一日多い時に13〜14錠の抗精神病薬を飲むことに

 

薬付けの日々が続く。

心もぼろぼろ。

誰を信じれば。

負の連鎖が高松氏を襲う。

 

子供の頃から親や周りの大人からも結果論ばかりを突きつけられ

まともに話を聞いてもらえなかったことなどが重なり、暴力へと変わっていったという。

 

暴力で訴える(喋る)ようになっていった。

 

その後も

精神科に入退院を繰り返し、千葉県に住んでいたが

リハビリを兼ねて北海道浦河町にある『浦河べてるの家』に単身で移住する事に。

 

そこで出会った主治医から『お前は薬が似合わないな。』と言われる。

 

その日から、今まで13錠〜14錠服用していた薬が0錠になった。

 

そして脳薬から無脳薬状態になる。

 

それ以降というもの

今まで薬で抑えられて見えなかった世界がバンバン見えてくるように

幻覚症状を味わうことに。

 

幻覚症状がある程度収まるまで丸3年はかかった。

 

 

◆音楽始めたキッカケ

 

10歳の頃、一般家庭より裕福な家庭だった高松氏が

両親から『オペラ歌手になりなさい。』とオペラを専攻していた。

 

本人からしたら『全くやりたくなかった。』という

 

仕方なくオペラを続けていた時、大人同様として10歳のクリスマスにソロデビューを果たす。

それから現役の歌手に抜擢され4年間オペラをやる。

 

高校進学して

当時3年生だった先輩の影響で、ピアノの作詞作曲と弾き語りと出会う。

誰からも指示されることの無い自由な音楽に出会った。

 

以降、個人でLIVE活動を始めるようになった。

 

北海道に行ってから、現在の師匠であるジャズベーシスとの立花泰彦に出会う。

フリージャズや音の広げ方やポップスの歌い方うや見せ方を教わった。

 

 

それが今の高松氏の音楽のルーツとなっていった。

 

 

◆LIVEで伝えたいこと

 

障害者と呼ばれている人たちとか

障害者ではないけど生きづらさを抱えてる人たちに対して

もっと自分を表現していい

または一部の人間が作り出した常識や概念や仕来りとかを越えていっていいんだよ

そこに縛られ続ける理由は一つもないんだよ

というのをメッセージとして伝えたい

同時に、高松氏より年下の自分と同じような生きづらさを持った若者たちに自分と同じような苦労とか悲しい経験をさせたくない

一人でも少なくなるように救って上げようとか言う訳ではなく、キッカケにならたらいいなと思う。

 

 

◆音楽活動

場所は、学校や商業施設や福祉施設や企業など。

子供からお年寄りまで大人気。

無脳薬ミュージシャン/高松信友のLIVEとなれば沢山の人が駆けつける程に。

現在は愛知県知多市で落ち着き、愛知県を中心に活動を行っている。

 

LIVEの他に、過去の経験をもとに

発達障害を持つ方(児童)との関わり方のセミナーや講演も行っている。

 

17888902_1304109486343353_1344063951_n

 

最後に

失敗はダメなことじゃない。今を一生懸命に生きている自分にまるっ!

と強く響くメッセージを残してくれた。

 

彼の背景を知ったからこそ強く響く言葉となった。

 

IMG_9468

 

高松信友に関する活動の様子やお問い合わせ先はコチラ(Facebookより)

E-mail: shinsuke.music@yahoo.ne.jp

※LIVE/講演/ワークショップなど様々な事に柔軟に対応しております。

是非いいね!ツイートご協力お願いします!!
福祉発信レーベルLimited Life Action《リミテッド・ライフ・アクション》